第14回遺伝子実験施設セミナー「感染→がん〜infection-induced cancers〜」

「ピロリ菌感染と胃がん」 

   東京大学大学院医学系研究科 微生物学講座  教授 畠山 昌則 


 胃がん,肝細胞がん,子宮頚がんといった代表的なヒトがんは細菌やウイルスの慢性感染を基盤に発生する。こうした感染がんはヒトにおける全がん死亡の20%余を占める。感染がんは、原因微生物の駆逐が発がんの劇的な減少に直接つながるばかりでなく、その腫瘍化機構の理解を通してより普遍的な発がんのメカニズムの解明にも重要な情報をもたらすことが期待される。  胃がん発症にはcagA陽性ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)の持続感染が深く関わる。cagA遺伝子産物であるCagAタンパク質はピロリ菌体内で産生された後、菌が保有するミクロの注射針(IV型分泌機構)を介して胃上皮細胞内に直接注入される。胃上皮細胞内に侵入したCagAはチロシンリン酸化を受けた後、ヒトがんタンパク質として知られるSHP-2ホスファターゼと特異的に結合しその機能を脱制御することにより、異常な細胞増殖シグナルおよび異常な細胞運動シグナルを生成する。生体内でピロリ菌感染の場となる胃粘膜は、発達した細胞間接着装置を有する極性化された単層上皮細胞層から構築されている。胃上皮細胞内に侵入したCagAはチロシンリン酸化非依存的に細胞極性制御キナーゼPAR1/MARKと結合しそのキナーゼ活性を抑制する結果、上皮細胞の極性破壊とそれに引き続く正常胃粘膜の組織構築崩壊を引き起こす。非極性化した上皮細胞におけるCagA-SHP-2相互作用依存的な異常増殖・異常運動の誘発が、胃がん発症のプロセスを著しく促進するものと推察される。CagAタンパクを全身性に発現するトランスジェニックマウスは生後12週令時までに胃壁の肥厚をともなう胃粘膜上皮の過形成を示し、その後、胃ならびに小腸にがんの発生を認めた。加えて、CagAトランスジェニックマウスでは顆粒球増多症が認められ、一部のマウスからは骨髄性白血病ならびにB細胞リンパ腫が発症した。以上の結果から、CagAはそれ単独で哺乳動物細胞のがん化を誘導できる初の細菌由来がんタンパク質であることが個体レベルで明らかにされた。本講演では、CagAによる胃上皮細胞悪性化の分子機構に関する最新の知見を紹介したい。